[Ⅲ-1] 16世紀(戦国初期から中期にかけて)の畿内摂津における大名土豪勢力の勢力分布
当時の摂津国で飛び抜けてはいないが、それなりの勢力を保持していた国人土豪として、池田党、荒木党、中川党、安威党、そして高山党と余野党を上げることが出来る。フロイスの「日本史」によれば、池田党は一時、一万の軍勢を集めるだけの勢力を持っていた。それらの党は互いに牽制しあい、小競り合いを繰り返しながらも地縁と血縁で結びついていた。摂津国外に対しては、彼らは摂津国人衆として団結していた。地域的にほぼ真ん中の中河原に館を構えていた中川清秀から見てみると、後に名を馳せる荒木村重と高山右近は父方の従兄弟である。そして余野蔵人の娘が右近に嫁ぎ、高山ユスタとなる。そのような関係図の中で、安威党は地理的に近い中川党と高山党に等距離の関係を保っていた。
筆頭勢力者の変遷を追ってみると、まず池田党、次に荒木村重が摂津中に猛威を振るったが、織田信長に潰され、その次に中川清秀と高山右近が戦国大名として台頭してきた。